CARBOYドリコンGP!
織戸 学 以降の過激化するドリフト模様
◆記事内容◆
いまさらながら、ドリフトというジャンルの発展性というか、全国規模での食いつきかたに面食らったというのが、当時の正直な気持ちでありました……。
1990年は、織戸選手がドリコンGPの初代グランドチャンピオンになることで幕を閉じた。そして、開けて1991年からのエントリー募集をはじめてから、編集部に届くハガキや、問い合わせの電話、自称他称のうりこみ(笑)も含めて、雑誌社の編集部とは思えないほどの状況に陥った。
メーカーさんからの協賛品の申込みも、予想を遥かに超えていた。あまりの品数と、総額の高価さに、懸賞規定にひっかかるのではないか?と不安になったことも事実でありました。
当時の会場は、、ドリコンGP開催予定は、発祥サーキットである山梨スポーツランド、狂乱の中山サーキット、競合激突の筑波サーキットだったが、1992年からはエビスサーキットが仲間入りした。
……続きは……
『CARBOY RETURNS! VER.2』で
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024◉ドリコンGP伝説のドリフター達
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https://youtu.be/HMx6rM49FAM
ドリコンGPの総合案内ページです。
http://car.boy.jp/06evrent/evrent_index02_dorikon.html
卍こと渡辺 武くんのことは、コチラでも紹介中
024◉卍渡辺ドリコンGP 1991年 第1戦
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024◉グイグイ村尾の140km / hサイド
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https://youtu.be/GM8qQ3BEm1w
024◉ドリコンGP百花繚乱 創世記達
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https://youtu.be/JfGnieu4luQ